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ここでは 曹洞宗について 少しずつ記載していきます。
平安中期以降、戦乱・天災・疫病が続き
世は乱れ、民衆は末法の世におびえていました。
 そんななか唐から帰った最澄が天台宗を空海が真言宗を開き、鎮護国家の仏教としての役割をはたすだけでなく国家権力からの自立をはかり、民衆救済の実践仏教の基盤となったのです。
それが現在につながる日本仏教の源になったのです。

鎌倉時代になると
法然の浄土宗  栄西の臨済宗
道元の曹洞宗  親鸞の浄土真宗
日蓮の日蓮宗 など 我が国独自の
仏教宗教が成立しました。
これらは 万民を救済の対象としており、平安時代までの国家や貴族中心の「旧仏教」に対して「鎌倉新仏教」と呼ばれます。


そのうちの 曹洞宗は
悟ろうとする気持ちすら捨てて、ただひたすら坐禅に打込む「只管打坐(しかんたざ)」。
これが曹洞宗の特徴です。

禅問答や公案は重視されず、ただ無心に坐禅し修業する姿そのものが「即心是仏」悟りの姿だとされたのです。
曹洞宗では他の宗で宗祖にあたる祖師を「両祖」と言って二人たてています。

一人は高祖の承陽大師・道元
もう一人は、太祖の常済大師瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)です。
ここでは 道元について 話を進めます。

高祖道元は入宋して天童山の如浄(にょじょう)に師事し、印可(いんか)を得て帰国すると、ひたすら坐禅に打込む純粋禅を「普歓坐禅儀(ふかんざぜんぎ)」「正法眼蔵(しょうぽうげんぞう)」などによってとなえ、禅の専修道場として興聖寺(こうしょうじ)(京都)や永平寺(福井県)を建て厳しく教えたのです。
曹洞宗という宗名を用いるようになったのは以後4代目あたりからで、「曹洞」の二文字は、どちらも中国の禅者の頭文字からとられています。

「曹」は
六祖曹渓山大鑑慧能(そうけいざんだいかんえのう)の頭文字です。
「洞」は中国曹洞宗の祖師、洞山良价(とうざんりょうかい)の頭文字からとられたものです。
両者の宗風を敬慕した道元の宗旨を表しています。
 
曹洞宗の本尊は
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を祭ることが多いのですが、これは 教えの根源を菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦さまの瞑想体験そのものに求めるためです。

しかし 他の禅宗同様、本尊にこだわりはありません。永平寺の仏殿には三世仏として釈迦牟尼仏と弥勒仏・阿弥陀仏がまつられています。
曹洞宗が全国にひろまり、多くの既成仏教の寺院が曹洞宗に改宗したとき、すでにその寺でまつられていた諸仏はそのまま本尊としてまつられたのです。
曹洞宗の宗典は「修証義(しゅしょうぎ)」です。 道元の著書「正法眼蔵しょうぽうげんぞう)」から 抜粋して明治時代につくられました。

仏事法要などで最も多く読誦(どくじゅ)されています。
また「法華経」「大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)」なども日常よく読まれています。


今回はここまでにして
また引きつづき 曹洞宗について記載していきます。

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